だるまの起源
1500年程前に中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である菩提達磨(ぼだいだるま)が、中国嵩山の少林寺にて九年間壁に向かい坐禅を続け、手足を失った姿を表したのが現在のだるまの形とされています。
また、だるまが赤いのは菩提達磨が僧位の高い緋色(ひいろ)の法衣まとっていたからという説があります。
縁起物の由来
ではなぜ、だるまが縁起物とされるようになったのでしょうか。
室町時代の後期に「不倒翁」という転がしても倒れない玩具が中国から伝わり、それが「起き上がり小法師」として日本独自の進化を遂げました。何度転んでも起き上がるその様は「七転び八起き」の精神を含有し、「家内安全」「無病息災」の縁起物として、会津地方では毎年初市で家族の人数より1個多く購入し神棚に飾るようになったそうです。
だるまの置物とこの起き上がり小法師の形状が似ていることからいつしか混同し、現在の転んでも起き上がるだるまの形になったのだとか…。
菩提達磨の「不撓不屈の精神」と起き上がり小法師の「七転び八起き」の姿は、重なるものがあります。
高崎だるまの流行
だるまが広まったのは江戸時代で、江戸で疱瘡(天然痘)という死亡率約三割の伝染病が流行った際に、魔除けの効果があるとされる「赤色」をまとっただるまを枕元に飾ったそうです。
その後、高崎だるまで知られる群馬県高崎市豊岡地域で天明の飢饉(1780年)により苦しむ農民を救済するために、少林山達磨寺の九代住職が江戸で流行っただるまを基に張子だるまの製法を農民に伝授し、七草大祭に売らせたところ評判となりました。
現在では、全国の生産のおよそ8割を占めるだるま産地で、群馬県のふるさと伝統工芸品に指定されています。
前橋初市の様子
だるまの目について
だるまの特徴である大きな丸い目には理由があり、菩提達磨が九年間壁に向かい坐禅を続ける中、寝てしまわぬようにまぶたを切り落とした姿と言われています。
また、目を入れるようになったのは、疱瘡にかかった際に視力を失う人が多くいたため、目の描き方が雑なものは売れ残ったのだそうです。そのため、ロスをなくすために目のないだるまを売り購入者に目を描かせたことが始まりとされています。